景気政策入門講座−6 “物“市場は不況時は一般的供給過剰


 前回投稿で、経済社会を“経済学的“に見る角度について話しましたが、

 又二回目の投稿で“不況“の根本的現象は
“物“が売れないことと“金融市場“にお金が入ってゆかない事と話しました。

 

 4回目の投稿でこの経済社会の二つの市場 物市場と金融市場は“物市場を土台として“繋がっているということを話しました。

 金融市場はある意味、“物を生産してゆく過程“のお金の出入り、又はそこの“余剰のお金“の融通にあるといっても過言ではないからです。



■“物“生産の、この市場社会での“基本的傾向“■

ではその基礎である物を生産するこの市場社会で生産にあたってどのような“不都合状態“が生まれやすいのでしょうか?

逆に言って“全て“ “常に“ 供給と需要が常に合致していれば“不況“といった問題は起きないからです。
 

全ての物が生産され流通に入り消費されていけば問題は有りません。

つまり“マクロ(全体)的“に見て総“供給“トータルと
                  総“需要“トータルが一致していれば問題は無いという事に成るでしょう。
(その イ)“単純総合計“と
    ロ)“品目別総合計“が合致している事)


 どういうものでもその持っている“特質“と言う物がありますが、この市場社会は“市場“が物の“生産 流通“を決定している訳ですから
ある意味上記の生産“総供給“と“総需要“が全て完全に合致するという事は誰が考えても簡単ではないと言う事が解ります。

 これを経済上で調べる事は“統計上“の大きな問題であるという事は経済運営を旨く行う為にはどうしても必要である事はお分かり頂ける事と思います。

当然、これは担当部局の省庁が調査しているわけで、昭和20年代から発行されている“経済白書“や現在の総務省が発行している“経済財政白書“には略、その内容が載っています。





需給ギャップとは▼

これは、要するに日本の国内での“総体的供給“と“総体的需要“がどのような状態にあるかを調べるものです。

(供給については“供給能力“を調べています というのは“供給“が“需要があった分だけ“ということでは何の意味も無いからです)

 以前は“需給ギャップ“と呼ばれていましたが現在は“GDPギャップ“と呼んでいるようです。定義付け、又算出法に相違があるようですが、基本的にはこの経済社会の総供給(能力)と総需要を調べる為のもので無ければなりません。


というのはここをどう認識するかで、“処方箋“も当然違ってくるからです。最近に於ける経済政策、景気政策の問題認識に直接関連しています。


 昭和40年代頃の白書には20年代からの“需給ギャップ“が載っていますが、概ね20年代から40年代まで一貫して“供給力“過剰“の状態にあります。


又その後の推移を見ても概ね供給能力が需要を上回っています。
(詳細は各年の白書を参照:インタネット上でも見られます)

参照:昭和54年版通商白書(需給ギャップとして)

http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S54/I-1-12z.htm




これは“統計“という意味では“稼働率“を見ても判別可能でしょう。
つまり100%の稼動”率”は略無いという事です。(正確に言うならGDP等には“金融産業“等の所得も含まれるので厳密には“物“の統計では無いが大体の傾向は把握できると思われます)

尚、いきなりGDP等という言葉が出てきましたがこれは要するには一国で一年間に生産された物から原材料等を引いたものです。




この供給能力過剰的状態“は日本だけでは有りません。アメリカ等でも確認した通商白書等によれば少なくとも1960年代後半から1970年代後半まで”製造業として”統計的に略供給能力が需要を上回っているのが解ります。(その後の部分に関しましては投稿者の確認したところでは”GDPギャップ”としては+-の波が有りますが不況期には大方−になっているのが解ります。)




尚、上記は“一般的傾向“を述べましたが、当然の事ながらこの“ギャップ“は不況期には明確に大きくなります。







ではどうすればいいか?




以下次回




 




 

景気政策入門講座−5 “ミクロ“と“マクロ“  部分は全体になると?

 


 前回投稿で、“物の市場“と“お金の市場“の関係について述べましたが、今回は経済社会“全体“を見るのに重要な問題について投稿したいと思います。



■ミクロ・マクロによる経済の見方■


 それは何かと言いますと、経済の“全体“を見る場合の“視点“が必要であると言う事です。
“ミクロ“(ミクロ経済)とか“マクロ“(マクロ経済)と言う言葉は聞いた事が有るかもしれませんが、

この経済社会を見る視点として二つの角度が有ると言う事です。



①“ミクロ“とは

ミクロとは経済社会の構成部分である一人一人、又会社でしたら、その一つ一つを見て行くと言う事です。
例えば個人個人で見るなら、一人一人にとって将来に備えて貯蓄すると言う事は“美徳“であると言えるでしょう。その行動原理を追求するのが“ミクロ経済“の立場です。

会社でしたらどうしたら“最大の利潤“が揚がるかと言うような事です。



②“マクロ“とは

マクロとはその経済社会“全体“がどうしたら旨く行くかと言う事を考える立場の経済学です。

これが何故重要かと言うと上記で挙げた例で一人一人にとって将来に備えて貯蓄する事はいい事であると言いましたが、これを“マクロ的“に全体として捉えると一人一人の“貯蓄“の増加は社会全体になると“社会全体“の購買−需要が減ると言う事態になる訳です。これはある意味“販売不振“を招きます。

こういう現象を経済用語で“合成の誤謬“(ごうせいのごびゅう)と言います。

この観点は非常に多くの経済現象について起きる事が多く“景気“問題を考える一つの大きなポイントになります。






尚、この例で増えた貯蓄はどうなるのかと言う疑問もあるかと思いますがそれは現在の問題に直接関連しないので別の機会に述べたいと思います。




以下次回

景気政策入門講座−4 “物 市場“と“お金 市場“

 前回投稿で“需要 供給“は実際は繋がっていると言う事を説明いたしましたが、今回は一回目でいきなり、[実物]、[金融]との区分を示しましたが、それはこの経済の“市場“が基本的には“実物財“と“お金−金融“の二つの市場から成り立っている事を示した物です。

(簡単の為、政府や中央銀行(日銀)は考慮の外におきます。)


■“物−実物“市場 と“お金−金融“市場“は繋がっている■


 これは常識でも解りますが物の市場とお金の市場は繋がっていると言う事です。

 まず経済の基本を考える時、基本はまず我々の日常の生活物資−物を生産しているのがこの経済社会です。そこに於いてまず

 お金がありそこから投資財−生産材料、設備を買い、働く人を雇い、そして物を生産し、販売し又元のお金に戻ると言う事を繰り返すのが日常の“生産経済活動“です。


 そこに於いてまず物を売り買いするわけですから“物の市場“が必要になるわけです。その土台の元にこんどは通常のある程度以上の企業でしたら



▼金融市場に入ってゆくお金▼


①設備投資等する為の積立をします。(会計用語的には概ね内部留保と考えてよいと思います)

②日常の“運転資金“部分が手元に幾らかは有ることになります。(会計用語的には概ね手元流動性と考えてよいと思います)

上記の“お金“は自分で持っているよりは通常、銀行等に預けるかすることになります。


そこにおいてその“お金“を“運用ないし一時的な預け場所“とする“金融市場“が必要になってくることになります。(逆の意味で企業等が借入する必要もありますから)



そこでその“金融市場“に入るのはそのような企業のお金だけではなく

③勤労者の当座必要でない“貯金“部分や

④又“富裕層“の人達の余裕資金がその“金融市場“に入る事になります。

上記が“金融市場“に入ってゆくお金です。






▼金融市場から出るお金▼


では逆に出る−借入はどうでしょうか?

まず

①企業の設立としてのお金  これは通常株式会社と考えれば“株式“に なるということでしょうか

②企業の借入と言う事になれば“社債“等と言う事でしょうか。


③その他、企業の運転資金


④個人の借入(住宅ローン等)と言う事になります。



ここで金融市場の場合、“銀行等“が有るとそこに金融用語で言う“信用創造“と言う事が有りますが、これは預金を貸出しそれが又他の銀行の預金になり増えて行くと言う事ですが、若干議論が有るようであり、又この問題を考えるのには直接必要では無いのでそれを度外視しして考えます。


上記のお金が今度は貸出し等になって初めに説明した“物−生産“の市場に入ってゆくことになります。






上記、見ましたように“物の市場“と“金融の市場“は繋がっていると言う事がお分かりいただけたと思います。





以下次回

尚、本稿は概ね二日置き位に投稿する予定です。

景気政策入門講座−3 “需要“と“供給“は繋がっている


■経済学に於ける“需要“と“供給“■

 
 前回、“不況“とはそもそも何であるかと言う事について書きましたが、要はこの(市場型)経済体に於ける“市場“−物・(サービス)・金融−取引の内容である

“実物“に於ける“物が売れない現象“及び“金融市場“に“お金“が入ってこない現象 この二つが特徴である事を話しました。
 
若干付け加えるならお読みになって解ると思いますが、物が売れなければ会社は成り立ちませんし、又そうなれば倒産と言う事にもなり、又そうなれば“失業“と言う事につながり、従って世に言う“不景気“と言う事になるのはお分かり頂けると思います。


これは一般に経済学においては、物の生産、交換、分配、消費 及び金融面の“融通−お金のやり取り−“を分析の対象とするということからも

①実物
②金融

の両面に於ける“需要“と“供給“の問題であると言う風にも言えると思います。


 ▼需要と供給▼
・・実際には繋がっている“需要“と“供給“・・


 一般に公民の教科書等においては物の販売量、値段は“需要“と“供給“で決まる と書いてあります。又一般的な説明でもそのような説明が一般的であると思います。しかしこれは良く考えるとそれだけではすまない事が解ります。

それは何にかというと、例えばAさんの会社では自転車を作っているとします。その場合に何らかの関係で賃金コストが1/2になったとします。つまり例えば社長がワンマンで賃下げしたような場合です。その場合、前と同じ値段で売れるとするなら当然会社の利益は増えます。


 しかし、ここで新たな問題が生じる事になります。それは何かと言うとAさんの会社だけがそうなるのなら良いのですが、世の中のほかの所でもそういうことが広がるとするなら、この会社Aは“供給側“でありますが、では誰がそれを買うのか−つまり“需要者“は誰かと言う場合、社会の勤労者全体のほかにはいないと言う事に気がつくと思います。
(社長さんも購買する側と言う事では需要者ですが話を簡単にする為に省きます)


 そうすると社会全体で賃下げが起こるならトータルとしての需要は減る事になります。

つまり、Aさんの会社1社だけがそうするなら良いのですが社会全体でそういうことが起きると販売不振という状況が生まれるという事です。

これをそうするに、一見ばらばらのように見える“需要“と“供給“ですがそれは実は繋がっていると言う事が解ると思います。





尚、この場合において、

①、増加した利益部分があるのでは?
②、賃金が下がった部分だけ、全体として物の価格が下がればいいのではないか?

と言う疑問が出ると思いますが、それについては次回以降に述べたいと思います。


以下次回

景気政策入門講座−2 そもそも“不況“とは何か


 本日、この題での2回目の投稿を行いたいと思います。本投稿は前回説明しましたように大学へ行かなかった方(金銭的理由等で行けなかった方)、又大学も経済系以外の学部に入られた方に解るように書いてゆきたいと思います。(全体で十数回程度以内で書いてゆきたいと思います)

  ■そもそも不況とは何か■


まず、テーマの内容であります“不況“と言うものの実質は何か?と言う事がまず問題となると思います。(説明を解りやすくする為、当分“外国−貿易等“は考慮の外に置くこととします)


一般に“不況“と言う場合、まず


①“物が売れない“と言う現象が頭に浮かぶと思います。サービス業で言うと“お客が来ない“という現象です。やや経済用語風に言うなら“実物面“での流通、販売に停滞が生まれるとも言えるかもしれません。−この“実物“と言う表現は“貨幣・通貨“的側面に対応する言葉で“実質的な物“を指します−自転車・車・食料・機械等です。
その意味では“サービス“はややずれるかもしれませんが“実物に付随する物“と考えて頂ければ良いと思います。


②次に起きる一般的必要的現象は金融面−言葉を変えて言うなら金融市場−“株式等証券・預金等を融通させる“市場“です−において混乱 一般的には価格の下落が起きる事と言える思います。これは詰まる所、その“市場“に“お金“が入ってこない事から起きると言えます。



上記、①、②、がまずは基本的現象といえると思います。
これについて“物価の下落、上昇等は“と言う疑問も浮かぶかも知れませんが、物価の“下落“等はある意味“通貨的現象“であり“不況“にどちらが伴うかはその時々で両面有ります

例えば19世紀のイギリスでは金が基本通貨でしたが“不況“の場合概ね物価は下落しました。その逆は第一次大戦後のドイツで大変な物価上昇が起きた事は知られていますが、その時に不況が有りましたし、最近では1970年代に起きた不況は物価の上昇を伴いました。



上記、総合するに“不況“の現象は

①“物が売れない“
② 金融面、その市場である金融市場での“お金“が無くなる現象

この二つが基本現象ととりあえずは考えて良いと思います。

以下次回へ




ご質問、反対意見随時受け付けますのでどうぞ。

景気政策入門講座−1 初めに


 本日から“景気政策入門講座“の投稿をはじめたいと思います。かなりある意味“大胆な試み“ともいえるかもしれませんが、先日述べましたように、昨今の経済情勢−経済的不安定状態は一般サラリーマン(ウーマン)、自営業の方々にとって大変な脅威と言えると思います。

先日述べましたようにサラリーマン(ウーマン)の約4割もの方が失業の脅威を感じながら働いていると言う事で、これは全く由々しき事態と言えると思います。更に一般自営業の方々にとってもその商売が順調に行くか行かないかという瀬戸際でもあり、正しく我が国社会の一大事であります。

しかし、世情、言う所の“景気問題“はかなり経済用語等も入り、インターネット上でも誤った見解が垣間見られます。

それらを判断する事はこれらの方々の行方にかかわる重大事でありますが、専門的な大学の経済系の学部を出た方は多くは有りません。しかし
実際の生活上、それらを判断してゆかねばなりません。

そこにおきまして、判断の基準となるであろう事を現段階でわかる範囲で(私自身の現在の“専門“分野が理論よりも政策分野ですのでその辺はご承知していただくとして(但し、“理論が専門“と言う“エコノミスト“にも全く“理論倒れ“と言う傾向も有ると思われ)実際的に述べてゆきたいと思います。

尚、投稿者は別のブログも持っている関係で投稿がやや遅れる場合もある事を述べておきたいと思います。

経済学・“景気対策(景気政策)“は当面する第一の社会問題。更に地球環境問題も。

昨今、これだけ経済的不安定が大きくなると、経済状態を安定させる事、“景気対策(景気政策)“は我々の当面する最も大きな社会問題といわざるを得ません。

アメリカから始まった今回の経済的混乱、“不況状態“を克服する事は我々のこの社会の安定を確保する為の大問題足らざるを得ません。

昨今の世論調査等でも失業の危険を考えるサラリーマン(ウーマン)が4割近くいると言う様なことも発表されています。失業となれば生活の全ての前提が崩れる事になり、又社会学的に言っても犯罪等も増える事となります。

今春、学費を払えなっかた高校生が入学式に出られなかった事が有りましたが、教職員組合等の調査によればこの日本に参加費が払えずに修学旅行等に参加できない公立高校の高校生が少なくとも数千人居る事があきらかになっています。

失業ともなればそのような悲惨な事態はもっと広がるでしょう。あの戦前の昭和恐慌時に弁当を持ってこられなかった東北地方の小学生の事が有りましたが事態はあまり変わっていないのでしょうか−あれから数十年が過ぎています。

これを改善できないとするなら経済学者、社会科学者は怠慢のそしりを免れないでしょう−テレビに出て好きな事を言っているだけではすまないのです と言うよりそういう観点が全く欠落している自称“エコノミスト“も少なくありません。その存在を許すなら経済学徒の一翼足らん我々も同罪でしょう。

更に問題を困難にしているのは、現代のもうひとつの大きな問題である地球環境問題です。一般に不況を克服する為には“消費を増やせばよい“と言うのが一般的セオリーでしたがCO2削減の為にはそうはいかないのです。その点も視野に入れて問題に取り組む必要が有るのが現在のこの問題の困難性です。

今後このサイトから何らか貢献する為、投稿することを目指したいと思います 同好の方は積極的に意見表明をお願いします。