その4   “経済学“  サミュエルソン

 第4回目の投稿は“サミュエルソン 経済学(上下)である。サミュエルソンがどうかしたのか?と言うのが大方の若干の読者の方の感想であると思いますが、投稿者自身もつい最近まで、サミュエルソン ウン、あの“新古典派総合“で80年代以降力が無くなった経済学者か・・と言う程度の認識でしたが(ご本人には全く失礼千万です)、そして経済理論的にはそれに取って代わったのは、ご承知のようにフリードマンであり、又“サプライサイド経済学“と言われた一派でした。


 ちなみに日本語版wikipediaには“サプライサイド経済学
まともな経済学ではない“と言うような趣旨が書いてありますが、投稿者の疑問は何故簡単にそれら流派に“負けたのか“と言う事であり、それはつまりは“新古典派ケインズ“というその構成に問題が有るからではないかと思うからです。



 そして又“経済学“は非常に版を重ね18版まで有ると思われますが、
(日本語版では13版が一番新しいのではと思いますが)現在、投稿者は日本語版 7版と11版を持っていますが、(他の版も手に入れようと思っていますが 岩波系のS書店に頼んでありますが)、要は投稿者の興味はどのようにサプライサイド、マネタリズムに影響されていったのか、また反論が出来なかったのか?と言う点にその解析を行いたいと言うのがその些か“無謀な“興味の主体“であります。




またそれらは“標準的“マクロ経済学の教科書に少なからず 特にアメリカでは又日本でも少なからず均衡派に覆われつつも、少なくとも些かは影響を与えていると思うと、今不況にも少なからず影響ある極めて“実際的問題である“と考えざるを得ないからです。







投稿者、別項“景気政策入門“でシステムとしての経済社会の構造を概括的に書きましたが、一般的に言って、“短期的に例えば漁業等で一時的に不魚で価格が上がる “需要−供給 の論理“というような物はおよそ常識の範囲の問題であり、“学問的な考察対象“にはなりえないと思っているわけで、本来的な経済学の任務はもっと大局的視野による経済構造システムそのものの解明こそがその“学問的“任務であると思っている次第です。



 つまりは“新しいマクロ経済学“の教科書が求められていると思われます。有意ある方の出現を期待したいと思います。
















以下次回